最近観た映画たち

ここ最近、割と映画をたくさん観たので、備忘録としてかるい感想を書いておく。

あとからまたちゃんと書くかもしれないし、書かないかも。

『モアナと伝説の海』

ハワイっぽい島の村長の娘であるモアナが”海にえらばれて”滅亡していく世界を救うお話。と書くとステロタイプなディズニー映画のように思えるが、この映画はその印象に自覚的で、そこからの脱却をはかった映画だ。

モアナは彼女を助ける白馬の騎士たるマウイにお姫様扱いされることを嫌がり、彼に助けられるだけではなく、彼を助けもする。また、映画の終盤、マウイに頼って溶岩の怪物テ・カァを突破しようとするも失敗し、マウイに諦められてしまうと、彼女はたった一人でテ・カァに立ち向かい、知恵と技術を用いて突破してしまう。

モアナは海に選ばれた存在とは言いつつも特別扱いはほとんどされず、彼女は自分で身につけた能力だけを用いて困難に立ち向かうのだ。
(CMで海とハイタッチしてるモアナをみて、海を都合良く操って擬人化しているなら嫌だなぁと思っていたが、そんなことはなかった。)

あと、この映画は吹き替えで観たけど、モアナの声がすごく良かった。歌も良くて、序盤の、村に縛られて外へ行きたくても行けない気持ちを歌うくだりだけでも、アニメーションの素晴らしさと相まって泣きそうになってしまった。

『LALALAND』

僕は『セッション』を楽しく観たので、劇場で予告編をみたときからこの映画はすごく楽しみにしていたし、映画館に行くたびに何度も予告編をみせられても嫌な気はせず、素直に楽しみにしていた。

が、なぜだろう。思ったよりグッとこなかった。オープニングのシーンから凄いといえば凄いのだが、身体は揺れない。微妙に気持ち良くなれないのだ。ミュージカルのシーンもオープニングとラストを別にするとどれも微妙にワンアイディアの低予算っぽさがあって、勿論服装のデザインとか画面全体の色彩は今っぽいレトロさでかわいいのだけど、なんだかノレない。スパイスの欠けたミシェル・ゴンドリーとでも言おうか。

しかしラストシーンではこれまでが嘘のように贅沢にアイディアを詰め合わせたテンポの良いミュージカルシーンが観れて、そこのカタルシスはあった。『セッション』のラストほどではなかったが。

予告編で何度もミュージカルシーンの美味しい所だけを観せられてしまったため、その引き伸ばしのように感じてしまった所もあるのかもしれない。

『FRANK』

 ミュージシャンワナビーの青年ジョンが、大きな作り物の頭を被った男フランクのバンドに偶然加入し、彼らとともにアルバム制作をすることになって...というお話。

最初のシーン、ジョンが目にするものをなんでもそのまま歌詞にしようとしている所は結構イタい”あるある”で、面白かった。ジョンはどこまでもワナビーで、SNSで人気を集めて承認欲求を満たすことがある種目的化していて、こういう人いるよなぁ感がすごくリアルに感じられた。(というか、もちろん自分にも多少ある部分である。)

しかしワナビーな彼は、ほんとのミュージシャンであるFRANKらのバンドにおいてどこまでのよそ者で、彼は最後まで成長しないどころか、彼とバンドメンバーの関係だって、最後までほとんど変わらない。

ジョンは最後まで歌いたいことのない薄っぺらなワナビーで、FRANKは最後まで悩みを抱えた真のミュージシャンとして描かれる。彼らの相容れなさだけが描かれて、ワナビーを温かく励ましてくれるようなことはないどころか、彼らの愚かさだけが描かれるので、FRANKよりもジョンに近いであろう僕は観ててちょっと辛かった。
ジョンには、「歌いたいことがない」という悩みがあるじゃないか!!!

ちなみに、FRANKのバンドのやってる音楽がいい感じにフレッシュなインディーバンド感があって良かった。町山さんによると、captain beefheatというアーティストの音楽がもとになっているらしい。

アドベンチャーランドへようこそ』

 ニューヨークの大学院に行く資金集めのために、夏のあいだ実家の近くの遊園地でアルバイトすることになったジェシー・アイゼンバーグのお話。

 これが久々に最高な映画で、良い映画なのは言うまでもないが、なによりも”好き”な映画だった。後から監督を調べると『スーパーバッド』のグレッグ・モットーラ。これで彼は、僕の信頼する映画監督トップ10入りを余裕で果たした。

この映画は僕の体験できるハズのない、アメリカでの大学時代の青春をとても気持ちよく体感させてくれる。役者同士のアンサンブルとしか言いようのない心地いいグルーヴに、ちょっと懐かしめのテイストの音楽、それらを決して邪魔することのない演出。すべてが最高のバランスだ。

ジェシー・アイゼンバーグは大学4年だけど未だに童貞で、親近感がわく。というか、彼はイケてないメンズがギリでなれそうなカッコよさで、彼をみるたび、憧れと同時に親近感を抱かざるを得ないのだ。

遊園地でのピュアな恋愛には『LALALAND』なんかよりよっぽどドキドキさせられる。真のヒロインとなるエムも可愛かったが、リサPのエロさは童貞が夢見るエロさをそのまま具現化したかのような感じで、彼女とのキスシーンは下手なAVなんかよりよっぽどエロく感じた。

しかしやはりパンクなエムは可愛いかったし、好きになったし、映画を観た後、すぐにルー・リードのポスターが欲しくなった。大好きな映画。

 

「Mommy / マミー」を観た。

Netflixにあったので観た。グザヴィエ・ドラン監督作品の前作。

「たかが世界の終わり」とはうって変わってストレートな感動娯楽映画で、いい意味で驚いた。画面サイズのアレコレはちょっとやり過ぎかなぁとは思ったけど、演出は素晴らしく、音楽の使い方もやっぱり上手い。また、キャラクター造形が絶妙で、キャラクターをたてるのも上手い。

特にカイラというキャラクターの配置が絶妙で、もし彼女がいなくてスティーヴと彼の母親だけの話だったら、ここまで話にのめり込めなかったと思う。家族の外側にいる彼女の視点があるからこそ部外者である僕も彼らの関係に入り込んで観てしまう。

欠けた者どうしの3人が、たとえほんのわずかの間だけだとしても、歯車がうまく噛み合って楽しい時間を過ごせたときのかけがえのない多幸感。それが味わえるシーンは多くはないが、だからこそどれも心に残るものになっている。

「たかが世界の終わり」の会話は(特に前半は)鈍重な展開だと感じていたので、こんなにサッパリとして軽快な楽しい会話も描けるのか、と感心した。

新たなクラシックと言ってしまっていいと思う(もうそんなに新しくはないですが)。
この”エモさ”の切れ味はちょっと他にはない感じがある。

ドラン監督、参りました。

「ドクター・ストレンジ」を観た。

あまりエンタメ映画をみる気分じゃなかったけど、「ネオンデーモン」の2回目まで時間が空いたので観た。

劇場は平日の夕方だったけど、老若男女わりと入っていた。エンタメ映画なので、人が多いだけでなんとなく楽しげな雰囲気があって、とても良いと思った。

さて、僕がアメコミヒーロー物の映画の”一作目”で一番重要だと思うのは、イメージが跳躍するカタルシスだ。

例えば、サム・ライミ版「スパイダーマン」の一作目では、最初は街の裏路地でこっそり壁を登ったりビルを飛び越えたりする練習をしていたのが、終盤では自由自在にニューヨーク中を飛び回る。

僕の一番好きなアメコミ映画、「XMENファースト・ジェネレーション」では何人ものキャラクターがイメージの跳躍を見せてくれるが、特に、”声を超音波にする”というイマイチな能力と思われたバンシーが、後半ではその能力を用いて空を飛びまわり、海に潜り、声をソナーにして敵の潜水艦の居場所をつきとめるのだからたまらない。

これらのイメージの跳躍において重要なのは、①能力の定義をはっきりさせること、②能力を自分なりに使いこなしてゆく過程を描くこと、そして最後に、③観客の予想を超える能力の使い方を見せること、の3つだと思う。

その点において「ドクター・ストレンジ」は、失敗している部分もあり、成功している部分もある。

なぜかというと、彼にはいくつもの能力があるからだ。

まず、一つ目の能力は、火花が飛び散る光の軌跡を生み出す力。あるいは、それで円を描いて瞬間移動する力だ。この能力では、はっきり言ってあまりカタルシスは感じられなかった。それは、そもそもその能力がなぜ彼(そして彼らの)身についたのかが説明されないからだと思う。理論としてもぼんやりとしか説明されないし、彼が実際にその能力を使いこなせるようになる、という過程の描きかたもかなりおざなりだ。しかし、彼の兄貴分の能力者が光の軌跡を足場にして空中を歩いて回るのはなかなか面白かった。
それにこの能力は彼独自の能力ではないので、この能力についてじっくり描くことはこの映画の目的ではないのだろう。

二つ目の能力は、時間を操作する能力だ。この能力の面白いところは、世界全体の時間ではなく、ある物体を指定して、その物体の時間のみを操作できるところだ。
この能力がドクター・ストレンジを特徴づける重要な能力らしく、一つ目の能力と比べて、この能力はじっくり描かれる。まず①および②として、食べかけのリンゴの時間を巻き戻して食べる前の状態にしたり、早送りして腐らせたりする描写が丁寧に(実際、2,3回繰り返して)描かれる。
そして③がすごい。(ちょっとネタバレ注意)
ラストバトルではなんと、崩壊してしまった街全体の時間を巻き戻しながら、巻き戻る地形を利用して敵を倒してゆくのだ。これは思いついただけでもえらいし、思いついても普通はできない。このシーンはアイディアに溢れていて最高に楽しかった。
それだけでも大満足だが、その後の敵の大ボスとの戦いではさらにまたブッ飛んだアイディアを見せてくれる。言うことなしだ。

「ドクター・ストレンジ」の世界には魔法アイテムみたいなものがあり、他にも様々な能力が描かれるのだが(意思をもったマント、敵を自動で拘束する器具など)これらも、都合いいな~とはちょっと思いつつ、でもちゃんと楽しいアイテムではあったと思う。

能力が多すぎて若干焦点(ドクター・ストレンジの独自性)がぼやけていたこと、またそれらがどういう理屈で扱えるのかがほとんど説明されないこと、彼が結局どういう理由でヒーローとして戦うことに決めたのかがあまり伝わってこないこと、などイマイチだと思う部分はあるにせよ、やはり、一番重要なのは時間を操作する能力で、そこに関してはしっかり”一作目”ならではの楽しさに満ちていたと感じた。

それに、映画の要所でみせられるお金のかかったドラッギーな映像は、大画面、もっと言うとIMAX3Dで観ても損はないと思う。

「ネオンデーモン」を観た

一度目を観たあと、一日空けてすぐにもう一度観た。

何度観ても完璧にかっこいい映画だと感じた。普段映画を観るときは、わりと「映画を観るぞ」と腰をいれて(?)みるけど、この映画は、好きなアルバムを聴くときのようにスムーズに何度でも観れるな、と思う。

この映画は美についての映画だ。主演のエル・ファニングはそれにふさわしく、妖精のように美しい。

そして、彼女が美しいからこそ、観てるこちらは常に恐れてしまう。彼女のピュアな美しさがいつ失われてしまうのだろうか、と。

彼女は常に”美しさ”という卵を抱えているのだ。そして、観てるこちらは、彼女が誰かに足を引っ掛けられて、その卵を落として割ってしまわないか常にハラハラしてしまう、という訳だ。

一方で、彼女の卵は強力な武器でもある。彼女がその美しさでもってウザい先輩モデルに余裕で勝利してしまう様は爽快だ。しかし、彼女の価値が示されれば示されるほど、不安は大きくなっていく。

そして終盤、不安は的中し、彼女の持っていた卵は文字通り思いっきり地面へ叩きつけられる。歪んだカタルシスが観客を襲う。

その後、物語はある種非現実的なイメージで描かれることになるが、それは、これまでみせられてきた”美しさ”の生理的な気持ち悪さの側面を強調してみせられたかのように感じられた。

「Drive」とはまた違った空気をもつ、美しく、そして気持ち悪い、素晴らしい映画でした。

「皆様ごきげんよう」を観た

この映画を観ようと思ったのは、キネ旬で紹介されていた記事のスチル写真がなんとなく気に入ったからで、それは、まるで作り物な生首が死刑台のそばで掲げられている写真だったり、あるいは、スキンヘッドで太った男性がぽつんとプールに浮かんでいる写真だった。

映画が始まってすぐ、死刑台のシーンは観ることができた。

断頭されてもまったく血は出ず、シュールなシーンだった。

次に舞台は戦時中に移る。

ここでも血は描かれず、銃の撃ち合いはまるで戦争ごっこのように描かれる。

最後に舞台が現代に移って、やっとちゃんとした映画が始まったようだ、と少し安心する。(というのも、先に述べた2つの時代の話は単なるイメージの連続にしか見えなかったからだ。)

現代パートでは、あるアパートが主な舞台で、そこに住む読書家で酒飲みの老人、その友人の老人、ローラースケートで街を走る2人の若い女性、喧嘩ばかりしているカップル、アパートの掃除係の男性、が主な登場人物だ。(多い!笑)

この映画では、ひたすら彼らの何でもないような、でもへんてこな日常の話が描かれる。

もちろん、”奪われる者と奪う者”というテーマのようなものがあるのだろうが(アパートの住人達はホームレスらの寝床が奪われるのには猛反対するが、その一方で集団でスリをして人の物を奪っているのが面白い)、とはいえ殆ど主張せず、シュールな日常のイメージをただ描写する。

僕は正直なところ、終わりの方はずいぶん退屈してただぼんやり画面を眺めていた。ただ、いくつかのシーンはちゃんと大事に心にしまわれた気もする。